三冠王 それぞれの引き際
松中選手も引退したということで
三冠王を獲得した他の選手の
それぞれの最後はどんな年だったかのかという話
三冠王は今までで
松中選手を除けば6人!
・中島治康
1938年の秋
当時・巨人所属で40試合中38試合に出場し
打率.361 10本塁打 38打点で
初の三冠王となりました
現役最後は1951年の大洋ホエールズで
シーズン途中までは監督兼任でした
この年、98打数ながら打率は.357を記録
・野村克也
戦後初で捕手として世界初の三冠王として
1965年に
引退したのは1980年ですが
引退を決意したのは、その年の9月28日のことだったとか
その日の試合でプロ初の代打を送られ
もし、代打を送られなくても
自分が打てば最低でも犠牲フライを放つ自信があり
その代打策に対して不満で失敗を祈ってしまい
チームの勝利とは別の事を思ってしまったことを悔いて
引退を決意
現役最後の成績は
打率.217 4本塁打 14打点
・王貞治
史上初の2回以上の三冠王となった
説明不要の世界のホームランキング
引退の決め手は
当時中日の戸田善紀投手の球が速く見えて
「今までなら何なく見えて、打てていたのに打てなかった」
と思い、現役の引き際を感じたそうです
引退を表明した際に
「王貞治としてのバッティングできなくなった」
といったのも
引退した年に30本のホームランを記録していたのは有名
でも最後の年の打率をみると.236と
規定打席に達したプロ生活の数字としては最低を記録
本塁打数だけをみると
バッティングができなくなったという発言の重みが
あまり伝わらないと感じたけど
この打率を知ったとき、納得できましたね
現役最後の成績は
打率.236 30本塁打 84打点
・落合博満
3回も三冠王となった
説明不要の名選手その2
初めて三冠王になった1982年の成績は
.打率325 32本塁打 99打点と
1938年の中島選手以外では
三冠王として唯一100打点を切ってましたし
32本塁打も一番少ない本数
投高打低だったのかな
1985年から1986年には
現役さいごの1998年は開幕から4番を打つも
徐々にスタメンから外れ
シーズン終了に引退を表明
現役最後の打席は、プロ初打席と同じ代打で打席に立つことを希望したそうです
そのこだわりも魅力ですね
最後の成績は
打率.235 2本塁打 18打点
1984年に三冠王を獲得した
80年代から90年代前半に活躍した名助っ人
現役最後の年は
打率.271 26本塁打 97打点で
打点王を獲得するも
シーズン後半の打撃不振により引退を決意
1985年に三冠王となり
史上初のセパ両リーグで三冠王
しかも、1986年にも三冠王となり
こんな事、もう2度と起こんないんじゃないでしょうかね
1986年に記録した打率.389はシーズンの日本記録
1988年のシーズン途中で退団し
その年の成績は
三冠王となった助っ人以外の選手は皆
監督業に関わってるけど、松中選手は・・・ならないだろうなぁ