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プロ野球記録マニア

プロ野球の記録について追及していくブログ

NPBで生まれたギネス記録

プロ野球 記録

前回、イチロー選手のギネス記録について書きました

イチロー選手のギネス記録は全てメジャーリーグでの記録です

 

NPBでギネス記録を作ったのは

調べた限りでは4人いるみたいです

 

 

王貞治

通算本塁打868本(1959年~1980年)

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言わずと知れた世界のホームランキングの記録ですね

 

王さんが記録するまでの世界記録は

ハンク・アーロンさんの755本

 

これは2007年に、バリー・ボンズ選手が756号を放つまではメジャー記録でしたが

ボンズ選手は、この記録を762本に更新

 

NPBでの通算本塁打数が2位なのはノムさんの657本塁打ですが、これはメジャー記録を含めると世界6位となります

 

 

 

田中将大

連続勝利記録30連勝(2012年~2013年)

1レギュラーシーズン連勝記録24連勝(2013年)

レギュラーシーズン連勝記録28連勝(2012年~)

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2013年に、不敗のエースとして降臨し

楽天を悲願の初優勝・初日本一に導いた記録

 

この連勝記録は2012年から続いていました

2012年のシーズン終盤で4連勝を記録し

そのまま2013年のシーズンへ

 

そして、2013年のシーズンは負けなしの24連勝を記録

この24連勝が1つ目のギネスとなり

 

2012年の4連勝と2013年の24連勝を合わせた28連勝がギネス2つ目となる

 

そして、2013年のクライマックスシリーズで1勝0敗を記録し

日本シリーズでも第2戦に勝ち投手となる

がしかし、勝てば日本一となる第6戦に先発するも敗戦投手になる

 

ということで2012年から続けた連続勝利記録は

2012年の4勝+2013年の24勝+CS1勝日本シリーズ1勝

の計30連勝で止まった

 

この30連続勝利が3つ目のギネスとなる

 

 

日本シリーズで敗戦してしまうも、レギュラーシーズンでは勝利が続いている田中投手

 

2つ目といった28連勝は、2014年のメジャーでも継続してカウントされ

最終的には34連勝まで記録を伸ばすことになる

 

 

 

 

川相昌弘

通算犠打533本(1983年~2006年)

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プロ野球史上最高のバント技術を持つと言われた選手

 

1990年代の巨人の2番打者として活躍し

多くの犠打を成功させてきた

 

2003年に、エディ・コリンズさんのMLB記録である512犠打を更新し

世界の犠打王となった

 

1991年に記録した、シーズン66犠打は

2001年の宮本慎也選手に67犠打を記録されるまではシーズン記録だった

 

2015年のシーズン終了時でシーズン犠打数が65を超えているのは、上記2名だけである

 

 

犠打数の日本記録ベスト3は

1位 川相昌弘 533

2位 平野謙  451

3位 宮本慎也 408

となっている

 

 

 

金本知憲

連続イニング出場:13686イニング(1999年~2010年)

連続試合フルイニング出場:1492試合(1999年~2010年)

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鉄人と呼ばれた

現在、阪神で指揮をとる金本監督の記録

 

広島時代の1999年7月21日から記録が始まった

大きな怪我をせず、試合に出続けた

 

上の写真は2004年のもの

この時は死球により、左手首を骨折しながらも記録の為に試合に出続け

右手だけでヒットを打つ伝説に残るシーンである

 

シーズン中に、そんな事態になるも打点王を獲得したというのだから

それも伝説である

 

そして、記録をどんどん伸ばし

2010年になる

 

しかし、この年のオープン戦で右肩を故障

シーズンが開幕しても、右肩の状態が良くならないまま記録の為に試合に出続けた

その影響で守備で送球ができずに、相手に失点を許してしまう場面が目立った

打撃も不振に陥り、チームの事を考えて

自らスタメンを外れることを申し出た

 

これにより、記録は止まり

ギネス記録が生まれた

 

 

 

NPB以外でも野球でギネス記録を持っている人がいました

 

伊藤智仁投手の五輪大会で1大会27奪三振の記録がギネスでした

 

 

三菱自動車工業京都で活躍していた伊藤投手

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1992年のバルセロナ五輪の日本代表に選ばれる

当時の五輪代表は社会人選手が出場

この時、大学生ながら唯一出場したのが

侍JAPANの監督・小久保裕紀である

 

 

伊藤投手は予選リーグのスペイン戦とイタリア戦に先発し、どちらも勝ち投手となり

日本の予選リーグ突破に貢献

2試合での投球回数は15に対し奪った三振は20と奪三振率は12.00を記録

 

そして、3位決定戦のアメリカ戦にも先発し

3回を投げ、1失点で降板

しかし3回で奪った三振は7

奪三振率は、この試合だけでいえば21.00を誇る

 

この試合に勝利し、日本代表は銅メダルを獲得するのだが

伊藤投手が記録した1大会27奪三振がギネスとなった

 

伊藤投手の大会成績は

2勝0敗 27奪三振 防御率2.50 奪三振率13.50

 

この奪三振率はプロでも高い方だ

参考だが、甲子園で1大会の三振記録を持っている坂東英二さんの当時の三振率は12.05である

 

 

伊藤投手は、その後ヤクルトスワローズに入団

プロ野球の歴史上、最強のスライダーを投げる投手として歴史に名を残す

ケガの影響により短い選手生命だったが、伊藤投手を歴代最強の投手と言うプロ野球ファンは多い

オレもその一人である

 

伊藤投手の功績はこれらも、五輪大会の世界記録として残り続けてほしい