広島カープでのシーズン30本塁打達成者一覧
広島カープでシーズン30本塁打以上を記録した選手のランキングです
打席の項目で無記入は右打者です
順位 | 選手 | 本塁打数 | 打席 | 年 |
---|---|---|---|---|
1 | 山本浩二 | 44 | 1977 | |
山本浩二 | 44 | 1978 | ||
山本浩二 | 44 | 1980 | ||
山本浩二 | 44 | 1981 | ||
5 | 新井貴浩 | 43 | 2005 | |
6 | 山本浩二 | 42 | 1979 | |
7 | ギャレット | 40 | 左 | 1978 |
ラロッカ | 40 | 2004 | ||
9 | ランス | 39 | 左 | 1987 |
江藤智 | 39 | 1995 | ||
11 | エルドレッド | 37 | 2014 | |
12 | 山本浩二 | 36 | 1983 | |
緒方孝市 | 36 | 1999 | ||
14 | ギャレット | 35 | 左 | 1977 |
15 | 江藤智 | 34 | 1993 | |
金本知憲 | 34 | 左 | 1999 | |
17 | ポプキンス | 33 | 左 | 1975 |
ライトル | 33 | 左 | 1978 | |
ライトル | 33 | 左 | 1981 | |
山本浩二 | 33 | 1984 | ||
金本知憲 | 33 | 左 | 1997 | |
22 | 衣笠祥雄 | 32 | 1974 | |
野村謙二郎 | 32 | 左 | 1995 | |
江藤智 | 32 | 1996 | ||
ロペス | 32 | 2001 | ||
ディアス | 32 | 2001 | ||
嶋重宣 | 32 | 左 | 2004 | |
前田智徳 | 32 | 左 | 2005 | |
29 | 衣笠祥雄 | 31 | 1980 | |
衣笠祥雄 | 31 | 1984 | ||
31 | 山本浩二 | 30 | 1975 | |
衣笠祥雄 | 30 | 1978 | ||
衣笠祥雄 | 30 | 1981 | ||
山本浩二 | 30 | 1982 | ||
ロペス | 30 | 1997 | ||
金本知憲 | 30 | 左 | 2000 |
1位はやっぱりミスター赤ヘル・山本浩二さん
最多44本塁打を4回も記録しています
この球団記録にあと1本及ばなかったのが2005年の新井さんです
新井さんはこの年に初の3割も記録
でもシーズン30本塁打以上を記録したのはこの年だけでした
外人選手&左打者としての1位は1978年に球団外人初の40本塁打を記録したギャレット選手
1977年には月間16本塁打の当時の日本タイ記録を樹立
また1978年にはオールスターゲームで1試合3本塁打を記録したことで知られています
捕手としても出場するときもあり打撃以外でもチームに貢献していました
同じくシーズン40本塁打を記録したラロッカ選手ですが
これは来日一年目でのこと
広島の他にヤクルトとオリックスに在籍と日本で7年間プレーしましたが
死球が多いことで有名で、ケガなどの不調でシーズン40本塁打を記録したのは2004年のみでした
9位のランス選手は
1987年に39本塁打で本塁打王となっていますが
この年の打率は.218と規定打席到達者の中で最下位でした
ちなみにこの年の首位打者は同じチームの正田耕三選手でしたが正田選手のこの年のシーズン本塁打は0本
同チームから、最低本塁打数の首位打者と最低打率の本塁打王が誕生と珍しい記録が生まれています
同じく9位の1995年に39本塁打を記録した江藤選手は
この年のシーズン終盤に体調を崩し離脱、惜しくも40本塁打到達とはなりませんでした
しかし本塁打王と打点王の2冠に輝いています
11位は2014年に37本塁打を記録したエルドレッド選手
この年はシーズン序盤は打ちまくったものの夏以降は不調に苦しみ三振が目立ってしまったシーズンとなりました
しかし終わってみれば本塁打王のタイトルを獲得
これは上記のランス選手以来27ぶりの球団外人選手の本塁打王となりました
1999年に36本塁打を記録し12位タイとなっているのは2015年からチームの指揮をとる緒方孝市さん
1995年から1997年まで3年連続で盗塁王を獲得していたが
36本塁打を記録した1999年は18盗塁となっており
自分らしさがなく良いシーズンではなかったと本塁打が自己最高にもかかわらず走塁面を意識した発言をしている
日本人の左打者としての1位は1999年に34本塁打を記録した金本選手です