中日ドラゴンズでのシーズン30本塁打達成者一覧
中日ドラゴンズでシーズン30本塁打を記録した選手のランキングです
打席の項目で無記入は右打者です
順位 | 選手 | 本塁打数 | 打席 | 年 |
1 | ウッズ | 47 | 2006 | |
2 | 西沢 道夫 | 46 | 1950 | |
3 | 宇野 勝 | 41 | 1985 | |
4 | マーチン | 40 | 左 | 1976 |
落合 博満 | 40 | 1989 | ||
6 | 山崎 武司 | 39 | 1996 | |
ブランコ | 39 | 2009 | ||
8 | 大豊 泰昭 | 38 | 左 | 1994 |
大豊 泰昭 | 38 | 1996 | ||
ウッズ | 38 | 2005 | ||
11 | 西沢 道夫 | 37 | 1949 | |
落合 博満 | 37 | 1991 | ||
和田 一浩 | 37 | 2010 | ||
14 | 江藤 愼一 | 36 | 1968 | |
大島 康徳 | 36 | 1979 | ||
大島 康徳 | 36 | 1983 | ||
ゲーリー | 36 | 左 | 1986 | |
ゴメス | 36 | 1999 | ||
19 | マーチン | 35 | 1974 | |
ウッズ | 35 | 2007 | ||
ウッズ | 35 | 2008 | ||
ゲレーロ | 35 | 2017 | ||
23 | 江藤 愼一 | 34 | 1967 | |
落合 博満 | 34 | 1990 | ||
福留 孝介 | 34 | 左 | 2003 | |
26 | 木俣 達彦 | 33 | 1969 | |
マーチン | 33 | 左 | 1978 | |
28 | 落合 博満 | 32 | 1988 | |
ブランコ | 32 | 2010 | ||
30 | 杉山 悟 | 31 | 1949 | |
森 徹 | 31 | 1959 | ||
マーシャル | 31 | 左 | 1964 | |
マーチン | 31 | 左 | 1977 | |
ゴメス | 31 | 1997 | ||
福留 孝介 | 31 | 左 | 2006 | |
36 | 木俣 達彦 | 30 | 1970 | |
宇野 勝 | 30 | 1982 | ||
大島 康徳 | 30 | 1984 | ||
宇野 勝 | 30 | 1987 |
球団記録は2006年のタイロンウッズ選手
中日に在籍前の2年間の横浜時代では連続で40本塁打を記録しましたが
4年間在籍した中日では40本塁打を記録したのは2006年のみ
2006年にウッズ選手に抜かれるまで半世紀以上もの間、球団記録だったのは2位の初代ミスタードラゴンズ・西沢道夫の記録
プロ入団時は投手だった選手ですが
後に打者に転向しチームの主砲として活躍しました
これは今でも日本記録である
3位の宇野勝選手は、とある守備のプレーで有名な選手ですが
チームの主砲として活躍した選手です
1985年に記録した41本塁打は遊撃手の選手としては最高記録
前年には37本塁打を記録し本塁打王のタイトルを獲得しているがこの年は本塁打王のタイトルは獲得できなかった
球団左打者1位は1976年のマーチン選手
固め打ちが得意な選手で1試合3本塁打を通算で3度も記録
40本塁打を記録した1976年は1試合で2本塁打以上を10度も記録しています
同じく40本塁打で4位タイにランクインしている落合選手ですがシーズン本塁打数が40本以上50本未満なのは、この1989年のみ
たまに勘違いしている人がいるのですが落合選手が三冠王になったのはロッテ時代のみで中日在籍時は三冠王になっていません
6位の山崎選手は中日時代に30本以上を記録したのは実は1996年のみ
この年は本塁打王を獲得
シーズン中は一時期、打率・本塁打・打点の三部門でリーグ1位となり三冠王も狙えるほどの活躍でした
結果は本塁打王のみでそれも2位と1本差とギリギリでのタイトルだったのだが
同じく39本塁打で6位となったのはブランコ選手
記録した2009年は5月にナゴヤドームの天井スピーカーに直撃する大飛球を放ち、これがナゴヤドーム初の認定ホームランとなっている
打率は3割に届かなかったが39本塁打110打点と二冠王に輝いた
中日時代のシーズン最多本塁打はこの39本だがDeNA時代では最高41本塁打を記録
球団日本人左打者1位は大豊選手
正確には日本人ではないのだが日本人登録選手としの記録なので日本人扱い
王さんのように一本足打法で活躍
シーズン38本塁打は2度記録
1996年は前述の山崎選手に1本差でタイトルを逃した
1996年のセリーグで38本塁打を記録したのは他に当時巨人の松井秀喜がいた
2010年に37本塁打で11位となっている和田選手ですが
これは中日在籍時で唯一の30本塁打で自己最高本塁打となっている
この自己最高本塁打を38歳という年齢で記録した