2段モーションで活躍していた投手達
最近のプロ野球で西武・菊池投手の投球フォームに関する話題が多い
2段モーションとは投球動作の際に軸足でない足を上げた後に、その足を一回下げて再び上げる動作の事を言う
遡ること10年以上前
2005年のシーズン中に来季(2006年)から
この投球フォームを不正として禁止されることが発表された
当時は2段モーションで活躍していた選手が多く
これにより投球フォームの変更を余儀なくされたのである
今回は当時、2段モーションで活躍していた投手達を振り返ってみた
2段モーションと言われて、この投手を一番に思い浮かべる人が多いと思います
当時は色んな人が真似して遊んだのではないでしょうか
その独特なフォームで2004年には開幕12連勝を上げるなどの活躍をし近鉄と楽天でエースとして活躍
しかし投球フォームの変更を余儀なくされた2006年はフォームが固まらない上に肩を故障しシーズンで1勝しかできなかった
2003年に20勝を挙げ沢村賞を受賞
その後も2005年まで2段モーションで二桁勝利を達成した
そして投球フォームの変更を余儀なくされた2006年
開幕前はフォームに納得がいってなかったものの終わってみれば
とタイトルを独占
・三浦大輔(横浜)
2段モーションが最後となった2005年は
自己最高の記録を残し、最優秀防御率と最多奪三振のタイトルを獲得
そしてフォーム変更を余儀なくされた2006年は前半は勝ち星に恵まれず苦しいシーズンとなってしまった
終わってみれば8勝と2桁勝利には届かなかったものの
前年より多い自己最多の216.2イニングを投げ
とそれほど悪いシーズンというわけではなかった
・石井弘寿(ヤクルト)
左から繰り出される最高155キロの速球を武器に
2000年代前半に五十嵐亮太投手と共にロケットボーイズとして活躍していた投手
2002年は69試合に登板して防御率1.51
最優秀中継ぎのタイトルを獲得
2004年にはアテネオリンピックの野球日本代表に選出
2005年はストッパーとして37セーブを記録した
2段モーションが禁止となった2006年以降は肩を壊し
その影響で今まで程の活躍ができなかった
・クルーン(横浜)
ゆっくりと2度足を上げる独特のフォームで2005年に当時最速の161km/hを記録
シーズン途中からストッパーを担い26セーブを挙げた
フォーム変更を余儀なくされた以降も特に調子を崩すことなくストッパーとして活躍した
2008年には自身が持つ当時日本最速記録を162km/hに更新し41セーブで最多セーブのタイトルを受賞した
2003年にジェフ・ウィリアムズと共に勝利の方程式として活躍
チームの18年ぶりのリーグ優勝に貢献した
2004年にはアテネオリンピックの野球日本代表に選出
2005年は先発に転向し、この年のうちに投球フォームを変更
その2005年は11勝を挙げチームの2年ぶりの優勝に貢献した
大学時代はノーヒットノーランを達成
大学野球の日本代表として活躍するなど高い評価を受け
2002年に阪神に入団
2004年にはプロ初先発・初勝利を記録した
2005年は球の出所が見にくいフォームを身に着け自己最高の9勝を挙げた
・永川勝浩(広島)
プロ一年目の2003年に新人ながら25セーブを挙げる
その後は中継ぎ・抑えと活躍
2006年になり他の2段モーション投手がフォーム変更で苦しんでる中、永川投手はフォーム修正により投球が安定し抑えとして活躍
4年連続で20セーブ、3年連続で30セーブを記録した
・朝倉健太(中日)
プロ入りしてからは制球に苦しみ活躍ができなかったが
フォームを2段モーションに改造することによって制球が安定した
2002年にはプロ初勝利を含む11勝を挙げた
その後はケガや不調に苦しんだが
2段モーション禁止となった2006年以降に2桁勝利を3回記録するなどチームの優勝に貢献した
・落合英二(中日)
1998年に最優秀中継ぎ投手を受賞するなど
岩瀬仁紀投手や当時の助っ人選手らと共にチームの勝利の方程式として活躍
1999年のリーグ優勝に大きく貢献した
フォームの変更を余儀なくされた2006年は安定した活躍ができず5試合に登板しただけに終わり現役を終えた
・岡本真也(中日)
2000年代前半に上記の落合投手と共にチームを支えたセットアッパー
2004年には中継ぎエースとして最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した
2005年は前半戦でリリーフ登板だけでの10勝を挙げた
2006年は投球フォームの修正に苦しみ活躍は出来なかった
2007年は新たな投球フォームで33ホールドを記録
その後は西武に移籍し西武でも中継ぎとして活躍した