盗塁を多く決めてもホームへの生還はそれほど多くなかったことが判明!
前回、前々回とリーグ最多得点と打撃3部門の同時記録について触れてみました
今回は盗塁王について触れてみます
出塁したランナーが盗塁を決めればホームへの生還の可能性が高くなります
シーズン最多盗塁を決めたなら自然とシーズン最多の得点を記録する可能性は高くなるのではないでしょうか
ちなみに1リーグ時代を含み
2017シーズンまでの打撃三部門とリーグ最多得点の同時記録は以下の通りでした
達成回数 | 達成人数 | |
首位打者&得点王 | 29 | 19 |
本塁打王&得点王 | 43 | 19 |
打点王&得点王 | 39 | 21 |
では本題です
早速ですが盗塁王と同時にシーズン最多得点を記録したケースは以下の通りでした
年 | 選手 | 得点 | 盗塁 |
1953 | レインズ | 92 | 61 |
1960 | 中利夫 | 80 | 50 |
1962 | 広瀬叔功 | 99 | 50 |
1964 | 広瀬叔功 | 110 | 72 |
1972 | 福本豊 | 99 | 106 |
1973 | 福本豊 | 100 | 95 |
1974 | 福本豊 | 84 | 94 |
1975 | 福本豊 | 79 | 63 |
1976 | 福本豊 | 88 | 62 |
1977 | 福本豊 | 89 | 61 |
1978 | 福本豊 | 107 | 70 |
1979 | 福本豊 | 101 | 60 |
1980 | 福本豊 | 112 | 54 |
1982 | 福本豊 | 97 | 54 |
1984 | 大石大二郎 | 97 | 46 |
1995 | イチロー | 104 | 49 |
1997 | 緒方孝市 | 103 | 49 |
1998 | 石井琢朗 | 103 | 39 |
1998 | 松井稼頭央 | 92 | 43 |
2003 | 井口資仁 | 112 | 42 |
2013 | 陽岱鋼 | 93 | 47 |
2015 | 山田哲人 | 119 | 34 |
2016 | 山田哲人 | 102 | 30 |
記録された回数は23回のみ
なんと首位打者と同時記録より少ないです
これは意外です
つまり多くの盗塁を決めたからって
他の選手より多くホームへ生還している
というわけではなさそうです
12名の選手が23回記録しているのですが
そのうち10回は通算盗塁数の記録保持者である福本豊さんが記録しています
複数回記録したのも他には
通算盗塁成功率の歴代1位を記録している広瀬叔功さんと
最近2年連続で記録した山田哲人選手のみでした
初の記録者が外国人選手というのも予想外です
1953年のレインズ選手ですが
史上初の外国人選手での盗塁王ですね
余談ですが、この年は来日して1年目なので
この61盗塁というのはNPB一年目の盗塁記録としては最多となっています
さて得点へと目を向けると興味深いことが分かりました
シーズン得点の日本記録は143です
これを踏まえて表を見てみると
盗塁数シーズン最多記録の106を記録した年の福本豊さんでさえ143得点に届きそうにありません
この143得点を記録したのは1950年の小鶴誠選手
この年は史上初の50本塁打を記録し最終的には51本塁打でシーズンを終えています
どうやら多くの得点を記録するには
1番打者タイプで多くの盗塁を決めて主軸にホームに返してもらうより
本塁打を放ち自ら多くの得点を記録する主砲タイプの選手のほうが有利みたいですね
どうやら盗塁王と得点王の共存はかなりレアなケースのようです
そもそも盗塁王と他のタイトルは同時に獲得したケースは多くないので
得点王も例に漏れずだってことが分かりました
その中でも凄いのが
1995年のイチロー選手
この記録はそう簡単には他に達成者が出そうにないでしょう
他には2015年の山田選手は本塁打王も同時に獲得しています
この結果を見て個人的に一つ気になったのが
阪神タイガースで活躍した赤星選手の名前がないことでした
2001年から2005年まで5年連続で盗塁王となった赤星選手ですが
その間、一度もリーグ最多得点は記録していなかったのです
2005年は119得点を記録するも
リーグ最多得点は同チームの金本選手の120得点
わずか1点及ばずでした
ちなみに赤星選手がリーグ最多得点を記録したのは2008年のみ(94得点)
この年の盗塁数は41
2008年に盗塁王となったのは42盗塁を記録したヤクルトの福地選手でした
この年は盗塁数1の差で盗塁王&得点王の名誉を得ることができずでした