プロ野球記録室

プロ野球の記録を独自の目線で掘り下げたい

各球団初の外国人選手の本塁打王 楽天助っ人トリオはデスパイネ選手に続けるか

2017年のプロ野球の出来事として
個人的に予想していなかったことの1つとして
ソフトバンクデスパイネ選手が本塁打王に輝いたということがある

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2014年から2016年までの3年間はロッテに在籍し
チームの主砲として活躍していたデスパイネ選手
2015年はデスパイネがホームランを打てばロッテは勝つ
というジンクスが一時期ではあるが流行っていたほどの活躍でした

 

しかし本塁打数を見てみると
2014年 12本
2015年 18本
2016年 24本

と年々、本塁打数を上げてはいるが
タイトル争いをするほどの本数ではなかった
しかし2017年は初の30本を達成し
最終的には35本でキングに輝いた

 

そしてこの活躍は
記念すべき球団史上初の外国人登録選手での本塁打王であった
ソフトバンクホークス
南海やダイエー時代を含み長い歴史を持つ球団だが
本塁打王のタイトルを手にした外国人登録選手はおらず
2017年にして初、2004年に誕生した楽天を除いては
11球団の中で最後となる記録であった

 

ちなみに、タイトルが手に届きそうな過去に数名はいた
このことはシーズン中に触れています

shinbizium.hatenablog.com

 


さて、とうことで
今回は各球団初の外国人登録選手の本塁打王がいつ誕生し
誰がタイトルを手にしたか振り返ります

 

B・ハリス-1938春(後楽園イーグルス・6本)

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外国人選手の史上初は1リーグ制時代に
後楽園イーグルスという球団に所属しいたハリス選手
登録名はバッキー・ハリスであるが
これはあくまで登録名であり
本名はアンドリュー・ハリス・マクギャラード

 

 


C・ジョーンズ-1974年(近鉄・38本塁打

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外国人登録選手で2リーグ制後初の本塁打王
今はなき近鉄バファローズのジョーンズ選手
1974年に38本塁打でタイトル獲得
この年の打率は.226と規定打席者のなかでワーストだった

このように本塁打が多いが打率が低く三振も多い
といったタイプの選手であった
近鉄移籍前は1970年から1973年までは南海(現ソフトバンク)に所属
毎年30本塁打以上を記録していたがタイトルには届かなかった

ちなみに近鉄バファローズからの本塁打王は5人誕生しているが
日本人選手は中村紀洋選手一人のみだった

 

 

 

L・リー-1977年(ロッテ・34本塁打

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リー兄弟として兄・弟と2人揃って同時期にロッテで活躍した兄弟の兄のほう
1977年に34本塁打を記録して本塁打王を獲得
1980年には首位打者に輝いている
ロッテで本塁打王となった外国人登録選手は
2017シーズン終了時ではこの例のみとなっている

 

 

 

B・ミッチェル-1978年(日ハム・36本塁打

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前年のリー選手に続いて2年連続での外国人登録選手での本塁打王
こちらの選手も打率が低く三振が多いタイプの選手であり
1977年に記録したシーズン158三振は一時期日本記録であった

 

日ハムはヤクルトと並んで2017シーズン終了までに

外国人選手の本塁打王は最多の6名が誕生している

 

 

 

ブーマー・W-1984年(オリックス・37本塁打

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当時の球団名は阪急ブレーブス
1984年に37本塁打本塁打王に輝いたブーマー選手だが
首位打者打点王にも輝き外国人登録選手初の三冠王となった
1992年にはダイエー(現在のソフトバンク)でも活躍したが
ダイエーでは本塁打王にはなれなかった

 

 

 

R・バース-1985年(阪神・54本塁打

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セリーグ初は史上最強の助っ人と呼ばれるバース選手
54本塁打を記録した1985年はチームの優勝に大きく貢献
阪神タイガースからの外国人登録選手で本塁打王
2017年まででこのバース選手のみ
さらに2017年シーズンまででタイガースからの本塁打王
1986年に同選手が二年連続で本塁打王となって以来、誕生していない

 

 

 

R・ランス-1987年(広島・39本塁打

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セリーグ二人目は広島カープからランス選手
この記録で面白いのは39本塁打本塁打王となるも
打率は規定打席者リーグワーストの.218だったということのうえに
この年の首位打者は同じチームの正田耕三選手
打率は.333だったが本塁打は0本だった

つまり一つのチームから
リーグ最高打率&リーグ最低本塁打首位打者
リーグ最低打率&リーグ最高本塁打本塁打王
が誕生していた

 

 

 

C・ポンセ-1988年(DeNA・33本塁打

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当時の球団名は大洋ホエールズ
1988年に33本塁打で昭和最後の本塁打王となった

口髭を生やしマリオの相性でファンに親しまれた選手
1986年から日本でプレーしており
来日1年目からチームの主砲として活躍するものの
当時は上記のバース選手が同リーグに在籍し少しタイトルは取れなかった
1987年と1988年は2年連続で打点王も獲得

 

 

 

L・パリッシュ-1989年(ヤクルト・42本塁打

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優良助っ人外人が多いヤクルトにおいて
初の外人選手の本塁打王タイトルは平成になってから
42本塁打で平成初の本塁打王

その後もハウエル・ホージー・ペタジーニ・ラミレス
そして現在も所属のバレンティン選手
といった多くの外国人選手がタイトルを手にした

 

 

 

O・デストラーデ-1990年(西武・42本塁打

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カリブの怪物・デストラーデ選手が球団としては初
1990年から1992年まで3年連続でタイトルを手にした
日本1年目の1989年はシーズン途中の入団であり
6月中旬からの出場ながらシーズン本塁打は32本を記録していた

 

 

 

T・ローズ-2004年(巨人・45本塁打

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巨人においては21世紀になってから
史上最強打線と呼ばれていた時代に活躍していたローズ選手
1996年から2003年までは近鉄バファローズに所属し
その間に3回の本塁打王になっている

 

ローズ選手は2004年のシーズン途中で国内FA権を取得したために

翌年からは日本人登録扱いとなった

もし、このルールが「FA権取得時点で日本人扱い」となっていたら

2017年までで巨人からの外国人登録選手の本塁打王は誕生していないことになる

2010年にアレックス・ラミレス選手も巨人所属で本塁打王となっているが

この時すでにラミレス選手は日本人登録扱いであった

 

 

 

T・ウッズ-2006年(中日・47本塁打

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セリーグ最後は中日からウッズ選手
2006年に中日で初の外国人登録選手として本塁打王タイトルを手にしているが
横浜ベイスターズ時代の
2003年と2004年と2年連続で本塁打王となっている

 


楽天イーグルスからの本塁打王
山崎武司選手が43本塁打を記録した2007年のみ
チーム内のシーズン本塁打数を見ても
昨年にウィーラー選手が球団外人選手初の30本塁打を達成したばかり
現在、イーグルスにはウィーラー、ペゲーロ、アマダ―
といった助っ人トリオの誰かがタイトルを手にする可能性はある
近い将来、楽天所属の助っ人外人からの本塁打王は誕生するのか
上3選手に期待したい