ヤクルトスワローズでのシーズン30本塁打達成者一覧
国鉄やアトムズ時代を含める
球団でのシーズン30本塁打以上一覧です
打席の項目で無記入は右打者としてます
順位 | 選手 | 本塁打数 | 打席 | 年 |
---|---|---|---|---|
1 | バレンティン | 60 | 2013 | |
2 | ペタジーニ | 44 | 左 | 1999 |
岩村明憲 | 44 | 左 | 2004 | |
4 | マニエル | 42 | 左 | 1977 |
パリッシュ | 42 | 1989 | ||
6 | ペタジーニ | 41 | 左 | 2002 |
7 | ロバーツ | 40 | 左 | 1968 |
ラミレス | 40 | 2003 | ||
9 | マニエル | 39 | 左 | 1978 |
ペタジーニ | 39 | 左 | 2001 | |
リグス | 39 | 2006 | ||
12 | ハウエル | 38 | 左 | 1992 |
ホージー | 38 | 両 | 1997 | |
山田哲人 | 38 | 2015 | ||
山田哲人 | 38 | 2016 | ||
16 | ロバーツ | 37 | 左 | 1969 |
17 | ロジャー | 36 | 左 | 1976 |
ペタジーニ | 36 | 左 | 2000 | |
19 | ガイエル | 35 | 左 | 2007 |
20 | 杉浦享 | 34 | 左 | 1985 |
レオン | 34 | 1986 | ||
池山隆寛 | 34 | 1989 | ||
23 | ロバーツ | 33 | 左 | 1971 |
24 | 池山隆寛 | 32 | 1991 | |
ラミレス | 32 | 2005 | ||
岩村明憲 | 32 | 左 | 2006 | |
バレンティン | 32 | 2017 | ||
28 | 町田行彦 | 31 | 1955 | |
大杉勝男 | 31 | 1977 | ||
ホーナー | 31 | 1987 | ||
池山隆寛 | 31 | 1988 | ||
池山隆寛 | 31 | 1990 | ||
オマリー | 31 | 左 | 1995 | |
ラミレス | 31 | 2004 | ||
バレンティン | 31 | 2011 | ||
バレンティン | 31 | 2012 | ||
バレンティン | 31 | 2014 | ||
バレンティン | 31 | 2016 | ||
39 | 大杉勝男 | 30 | 1978 | |
広沢克己 | 30 | 1988 | ||
池山隆寛 | 30 | 1992 | ||
古田敦也 | 30 | 1992 | ||
岩村明憲 | 30 | 左 | 2005 |
上位は助っ人外人ばかりです
ヤクルトの助っ人外人は優秀でスカウトの目がいいと言われているのが
数字でもよく分かる結果となっていますね
1位の選手は右打者ですが全体的に左打者が多いです
バレンティン選手が2013年に60本塁打を放ちシーズン記録を打ち立てたのは記憶に新しいです
この年は8月に18本塁打を記録し、これも月間記録となっています
シーズン記録は
打率.330 131打点
となっており三冠王とはなれませんでしたが
熾烈な首位打者争い&打点王争いをDeNAのロペス選手と繰り広げました
この年で3年連続の本塁打王となりセリーグでは王さんに次ぐ史上二人目の3年連続本塁打王となっています
2位となっているペタジーニ選手もスワローズ史上最強の助っ人と言われている一人です
ヤクルト在籍4年間の全てで30本塁打を記録
当時・巨人の松井秀喜選手とタイトル争いを繰り広げ
本塁打王2回、打点王1回獲得しています
日本一となった2001年にはMVPにも輝きました
同じくシーズン44本塁打を記録し2位となっている岩村明憲選手はランキングを見ての通り、日本人選手唯一の40本塁打記録者です
しかも2004年と2005年には
2年連続で3割30本100打点を記録
2006年には100打点には届きませんでしたが
3年連続で3割30本を記録しています
44本塁打を放った2004年の本塁打王は45本塁打を放った横浜のウッズ選手
惜しくも1本差でタイトルを逃してしまいました
当時はヤクルトの日本人選手初の本塁打王が期待されていました
4位のマニエル選手は赤鬼と呼ばれ
ヤクルト初の優勝&日本一の立役者であるとされている選手です
ヤクルトでのシーズン本塁打記録は42本ですが
近鉄に移籍後はシーズン48本塁打を記録
同じく42本塁打を記録し4位のパリッシュ選手は一年だけの在籍でしたが本塁打王を獲得しています
2003年に40本塁打を記録したラミレス選手ですが
この年は本塁打王と打点王の二冠に輝いています
打率も.333と好成績を残し三冠王が狙えるくらいの大活躍でした
ここまでシーズン40本塁打以上を記録したヤクルトの助っ人外人たちは本塁打王のタイトルを手にしていますが
唯一40本塁打以上を記録したのにもかかわらずタイトルを獲得できなかった助っ人外人選手は1967年から1973年途中まで在籍したロバーツ選手です
この間に記録した本塁打数は181本
これはラミレス選手に抜かれるまで球団外人記録でした
2015年と2016年に38本塁打を記録した山田選手は2015年に球団日本人初の本塁打王となりました
この年は盗塁王も獲得、本塁打王と盗塁王を同時に受賞した初の選手にもなり
2015年と2016年には2年連続で3割30本30盗塁のトリプルスリーを記録
トリプルスリーを連続はおろか複数回記録した初の選手となっています
1980年後半から1990年代に活躍した
ブンブン丸こと池山選手は最高記録が34本と20位タイですが
シーズン30本塁打を5回記録しており、球団日本人最多となっています