プロ野球記録室

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福留選手が日米通算2000安打を達成 MLBを経て日本で通算2000安打を達成した選手たち

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福留選手が日米2000安打を達成

 

これで日米通算安打2000を達成した選手は6人目となる

そのうち

イチロー松井秀喜松井稼頭央

の三名はMLBで日米通算2000安打を達成

 

福留選手を含む、残りの

井口資仁中村紀洋の三名はMLBを経てNPBで日米通算2000安打を達成した

 

井口選手と中村選手は、同じ2013年に達成している

 

 

と、以上の事は日本人選手の話

これ以外にも、MLBを経て日本で日米2000安打を達成した外国人選手は他にもいるのである

 

 

今回は、そんな外国人選手について調べてみた

 

 

 

マティ・アルー(1960~1976)

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1960年にサンフランシスコ・ジャイアンツに入団

兄と弟もプロ野球選手であり1965年に弟がメジャー昇格をした際

外野を3兄弟で守ったことがある

しかし、3兄弟が揃うのは長く続かず1966年にパイレーツに移籍

この年は首位打者を獲得

それ以降はシーズン打率3割やシーズン200安打も複数回記録

 

メジャー通算1777安打としたとこで、1974年に太平洋クラブライオンズに入団(今でいう埼玉西武ライオンズ)そして、現役最後の1976年に日米通算2000安打を達成

 

通算安打はMLBで1777安打、NPBで258安打の合計2035本

 

 

 

○ロイ・ホワイト(1965~1982)

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1965年にニューヨーク・ヤンキースに入団し1968年以降はチームの主軸選手として活躍

1979年までの15年間で積み重ねた安打は1803本

1980年から読売ジャイアンツでプレー

勝負強さを発揮し、中軸を任されるなど活躍

NPB二年目の1981年に日米通算2000安打を達成

1982年に現役引退をし、その後はメジャーでコーチなどで活躍

 

通算安打数はMLBで1803本、NPBで348本の合計2151本

 

 

 

 ○ラリー・パリッシュ(1974~1990)

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1974年にモントリオール・エクスポズに入団

一年目の本塁打数は0だったものの

それ以降はシーズン2桁本塁打を記録し続け、30本塁打も2回記録

 

メジャー通算256本塁打のパワーを買われて

1989年にヤクルト・スワローズに入団

 

この年に、132安打を放ち

日米通算1921安打とする

 

翌年は、阪神タイガースでプレイし日米通算2000安打を達成し現役を引退した

 

通算安打は

MLBで1789本、NPBで227本の合計2016本

 

その後はメジャーでコーチや監督として活躍

1999年にデトロイト・タイガースで指揮をとった時はチームに木田優夫投手がいた

 

 

 

 ○ウォーレン・クロマティ(1974~1991)

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1974年に、モントリオール・エクスポズに入団

2年目まではシーズン安打数が20を超えることはなかったが

3年目は打率.282 175安打の成績を残しレギュラーに定着していく

しかし、1983年までのMLB生活の中でシーズン本塁打数が20を超えたことはなかった

 

ここまでMLBで積み重ねた安打数は1063本

そして、翌年から読売ジャイアンツでプレー

 

一年目から30本塁打を記録し、3年連続で30本塁打を記録

打率も3割を残し続けた

 

1989年は打率4割の達成が夢でなかったのは有名

 

NPBの最後の年となった1990年に日米2000安打を達成

翌年はカンザスシティ・ロイヤルズでメジャー復帰するも同年に引退

 

通算安打は

MLB前半で1063本、NPBで951本、MLB後半で41本の合計2055本だった

 

 

 

フリオ・フランコ(1982~2007)

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1978年に、フィラデルフィア・フィリーズと契約し

1982年にメジャーデビュー、首位打者を獲得するなどして活躍

1994年までにメジャーで積み重ねた安打数は1922本

そして、1995年にメジャーで起こったストライキの影響で千葉ロッテでプレー

その年、日米通算2000安打を達成した

その後は1996年と1997年はメジャーでプレイし

1998年にロッテに復帰、翌年はメジャー、その翌年は韓国さらに、現役引退後の2008年にはメキシカンリーグでもプレイと多くの環境で野球をした

 

プロ通算安打は

MLBで2586本、NPBで286本、韓国で156本の合わせて3028本

 

2015年には、BCリーグの石川ミリオンスターズ選手兼任監督として入団

詳しい年齢は不詳のようである

 

 

 

アンドリュー・ジョーンズ(1996~2014)

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1993年にアマチュア・フリーエージェントアトランタ・ブレーブスに入団し、1996年にメジャーデビュー

 

その後、徐々にメジャーを代表する打者へと成長する

足が速く、守備も評価が高く

走攻守において高い能力をみせ、2005年には51本塁打を記録し打点との二冠に輝くなど

多くのタイトルを獲得

 

しかし、2010年代になると全盛期ほどの活躍はできなくなっていく

 

MLBでの通算安打数を1933としたとこで、2013年に楽天に入団

4番を任され、勝負強い打撃でチームの勝利に貢献し

日米通算2000安打も達成

9月26日の西武戦では、逆転タイムリーヒットを放ち

これが、楽天の初優勝を決めた勝利打点となるなど

 

球団初の優勝・日本一に大いに貢献する

 

2014年に楽天を退団し自由契約となったあと

2016年に現役引退を表明

 

通算安打数は

MLB1933本、NPB215本の計2148本

 

 

 

 ○アレックス・ラミレス(1998~2013)

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1993年にクリーブランド・インディアンズと契約し

1998年のシーズン終盤でメジャーデビューする

 

2000年のシーズン中にピッツバーグ・パイレーツへ移籍し

同年オフにヤクルトスワローズに入団

 

その後の事は説明不要だろう

 

MLBでの通算安打は86安打だったが

NPB13年の中で重ねた安打数は2017本

 

通算安打数は2103本

 

2016年現在、外国人登録選手で唯一のNPBだけで2000安打を達成している

 

 

 

 

ちなみに、日本に来る前に2000安打を達成やNPBを経た後に通算2000安打達成者は

 

アルフォンソ・ソリアーノ

ウィリー・デービス

○トニー・フェルナンデス

○レジ―・スミス

ビル・マドロック

 

の5名

 

 

そういえば、イ・スンヨプ選手も

日本に来てから日韓通算2000安打を達成していたな