パワプロで見る 高奪三振率男・石井一久投手
今回で4回目
今回は、石井一久投手についてみてみました!
今までのは右下のカテゴリーにある「パワプロ」のタグから
1991年にドラフト1位でヤクルトに入団した石井投手
パワプロ初登場は1995年
13勝4敗1セーブ 159奪三振 77与四球 防御率2.76
プロ4年目
この年に初の規定投球回を達成
勝率.765はリーグ最高だった
後に左腕最速と言われた選手だが、この時の球速は144と低い
1996年
故障で離脱したた影響の為か、思うような成績を残せず
プロ初の負け越しとなってしまう
能力としてはコントロールが大幅に下がるも、変化球が全体的にバランスよくなる
カーブのレベルは下がった
球速は144のまま
1997年は
を記録し、ノーヒットノーランも達成
がしかし、この年は前半はリハビリしており
この年のパワプロは春と夏にしかでていないため
石井投手のデータは無し
ノーノーを達成しただけに残念
1998年
奪三振王のタイトルを受賞
このシーズンの奪三振率は11.047で日本記録
がしかし奪三振の特殊能力が無い
この時はまだ、その特殊能力は無いのか?
その代わり、リリース〇はある
105与四球はリーグワーストで
20暴投とかなり多くの暴投を記録してしまうがコントロールはD
その影響かムラッ気を習得
球速は153まで上がった
変化球はスライダーが無くなり、再びシュートを使える
1999年
去年より投球回数が少ないのに与四球はリーグ最多
そんなんでスタミナはダウン、そしてコントロールがついにGとなる
変化球もカーブ以外はレベルダウン
四球男となってしまい、後半で崩れることも多く見られたためか
寸前×も取得してしまう
2000年
中日戦で6者連続三振を記録するなど、三振の山を築き二度目の奪三振王を獲得
最優秀防御率も獲得する
しかし、それほどタイトルを取りながら相変わらずコントロールはGで四球男
変化球が2種類となるも、石井投手の得意球であるスラーブのレベルが高い
スラーブを使えるのは初である
三振王を獲得したためか再びリリース〇を取得
2001年
球速は下がったが、ノビ〇を習得している
完投が0だったためにスタミナがCに下がる
変化球のレベルも1段階ずつダウン
てか、スラーブでなくカーブになっている
この年のオフに
「僕の妻はカリフォルニア人」などと言い
アメリカへ行く
2006年ヤクルトに復帰
球速は下がるも、コントロールはDにまで上がった
が相変わらず四球男
安定度も悪いが奪三振を取得している
変化球はアメリカで取得したカットボールを使えるようになる
下方向はなし
2007年
一年通して、安定した活躍ができずに負け越してしまう
それを表すかのように悪い特殊能力が目立つ
コントロールが下がるも
相変わらず、奪三振の特殊能力はあり
この年、通算1413投球回で1500奪三振を記録
これは史上最速記録
能力の方は球速が1下がる
変化球はスライダーがなくなり
スラーブが復活
この年のオフ
FA権を使って、埼玉に新しい友達を作りに行く
2008年
一年、安定した活躍を見せ
全体的に能力アップし悪い特殊能力も減る
コントロールはCにまで上がる
四球数はたいぶ減った
技巧派へモデルチェンジしたことがゲーム的にも見えてくる
NPB通算100勝を達成
2009年
安定した活躍が出来ずに能力ダウン
悪い投手能力が再び増える
奪三振の能力は無いが、キレが良い特殊能力を持っている
起用法が変化球中心となる
2010年
昨年よりは四球数が少ないためかコントロールが再びCに
年齢の影響か球速が、またダウン
カットボールがなくなり、フォークが復活
2011年
乱調と安定度が悪い特殊能力は相変わらずで、変化球のレベルもダウン
リリーフに回り始めた影響でスタミナがDに下がる
球速は147に戻った
2012年
5年ぶりの完投とプロ21年目にして初の無四球完封勝利を収めるも
コントロールは下がった
スタミナはCに戻るも球速が再び143に
そんな中、10勝を挙げたためか勝ち運を習得する
スラーブのレベルが1つ上がり、チェンジアップを使えるようになる
2013年
不調で出遅れた影響で、7試合に中継ぎで登板したのみに終わってしまい
プロ一年目以来の0勝に終わってしまう
そのため能力が全体的にダウン
この年に引退を表明
日米通算182勝だった
個人的には通算200勝を達成して欲しかったために残念でしたが
石井投手本人は通算200勝にこだわりはない発言をしていましたから
じゃ、いっか
って思いました